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 この日は倉吉に行ったときに「いのよし」というラーメン屋に寄った。牛すじでとったダシが印象的な、倉吉が誇る名店である。
 この日はちょっと張り切って牛すじラーメン(700円)を注文。
 中太のちじれ麺はコクのある牛すじベースのスープとよく絡まる。シンプルながら力強く、鳥取のラーメンの中でも主張があり、食べごたえがある。
 しかし、牛すじはコラーゲンたっぷりかもしれないが、そんなに幾つも食べられない。気持ちが悪くなりそうなので途中で諦めた。またこの日は、以前食べたときよりも甘く感じたが、牛すじのせいだろうか。
 倉吉にお立ち寄りの際は、ぜひ。

 いのよし外観.JPG 牛すじラーメン700円.JPG
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2006.09.23 | daily(日々雑記) | トラックバック(0) | コメント(0) |

 鳥取はラーメン不毛の地だと以前書いたが、蕎麦もそうかといわれるとそうではないと答える。
 日野町の「たたらや」の蕎麦は逸品で、地元の数件のお店はたたらやの蕎麦を出す。
 米子市には上代という蕎麦屋があるし、なんなら椿庵という隠し玉もある。
 
 今日は鳥取市で一番好きな蕎麦屋、「蕎麦きり たかや」に行った。場所はこのあたり
 この日は久々にお昼に時間があったので、ゆっくりお酒を飲みながら蕎麦を愉しむことができた。特にこの店では、内装もジャズもさることながら、お酒のチョイスがいいので気に入っている。
 もりそばは600円、お酒はつきだしが付いて500円。今日はイカの塩辛だ。

 日本酒は新潟の「鶴の友」の純米。不勉強にもこの銘柄を知らなかったが、フルボディのしっかりした味わいだが重くなく、すっきり切れる。いいお酒だ。イカの塩辛くらい濃い料理にちょうど合う。

 蕎麦はいつもの手打ちそば。酒のつまみに二、三本つまんでみたり、蕎麦湯割りをしたりと、存分に愉しむ。蕎麦は遊びの要素が多く、いい蕎麦屋には何時間でもいられるのだけど、酩酊してしまっては仕方が無い、二合ばかり空けて帰ることにした。
 そうそう、二合目には別の種類のさっぱりした日本酒が出てきたっけ。

 愉しい午後のひとときを味わう。
 もり600円.jpg 鶴の尾.jpg

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2006.09.16 | gourmet(食べ歩き) | トラックバック(0) | コメント(0) |

 すっかり忘れていたが、先日LUCKYFIELDSさんのブログで教えてもらった「日本酒で乾杯推進会議」に申し込み、会員証が届いていた。

 日本酒造組合中央会が中心に企画しているものらしいが、趣旨は日ごろ実践していることなので問題なく参画。カップ酒もそうだが、ちょっとずつ日本酒が攻勢に出ているのではないかと思う。地元でも、酒造組合に動きが出てきて面白い取り組みを始めている。

 10月1日(日)は日本酒の日らしいので、その日に向けて研鑽を積んでいきたいと思う。毎日晩酌しているだけなのだけれど。

 日本酒で乾杯!.jpg

2006.09.14 | sake(日本酒) | トラックバック(0) | コメント(0) |

 鳥取市内の谷本酒店に行く。
 ここでは鳥取の地酒はもちろん、浦霞や秋鹿など全国の吟醸酒が買える。
 (ここは焼酎やワインにも気合が入っていて、目移りして困ってしまう。)

 智頭町の諏訪泉の限定品「風」が出ていたので思わず買ってしまう。鳥取で復活した幻の酒米・強力米を70%磨いた純米生原酒。この日はコンビニのおでんと一緒に。もうそんな季節ですね。

 強力米の特徴は、その力強く芳醇な味わいと独特の香りだが、この「風」は強さを残しながらキレがいい。まったりと口にうまみが広がり、スッと引いていく。日置桜の強力もとてもいいのだが、それにひけを取らない味。

 お値段は3,150円。限定60本だそうなので、お早めに。
 風.jpg

2006.09.12 | sake(日本酒) | トラックバック(0) | コメント(0) |

 以前書いたように、鳥取市はラーメン不毛の土地である。
 ここ二ヶ月ばかり、その理由をつらつらと考えてきたが、大きく分けて二つくらいの要因があるように思う。

 1 外食産業が発達していない
 これは鳥取市の所得水準にも関係するのだが、一般的に鳥取の外食産業は低調である。
 その理由は、なんのことはない自宅で食事する家庭が一般的だからだ。カレールゥの消費量が多いのも、その関係上にある。

 2 食品加工技術が未成熟である
 「鳥取でおいしいもの」といえば、魚や牛肉、鶏肉や果実など、素材はいくつでも思い浮かぶのに、加工食品はほとんど思い浮かばない。そもそも、名物料理なるものが少ないのだ。それは食材そのものがおいしいために、加工の必要がなかったのではないかと邪推するのだが、これがラーメンの味に影響するかは定かではない。

 …余談はさておき、今日は鳥取市でおそらく一番マトモなラーメン、「中富」に行きました。
 何度も行っているので常連になってしまいましたが、場所はこのあたり

 場所はグッドヒルのななめ前なんだけど、こんなところ?というところ。
 メニューは少なく、ラーメン(しょうゆ・みそ)、冷やし麺、餃子、ライスが3種くらい。
 あと、キムチは食べ放題。
 この日は思い切ることもなくラーメン(550円)を注文。

 魚介のスープがよく効いていて、まろやかで優しいスープ。細めの麺だがしっかりとした歯ごたえの麺によく絡みます。ちょっと動物系の脂が少ないけど、それは魚介の旨みでしっかりカバー。チャーシューもトロっとしておいしいモモ肉。キクラゲや玉ねぎが具材に入っているので、最初は違和感があるのですが、慣れてくるとこれも楽しめる。

 鳥取に来たら、とりあえずこのラーメンをおすすめします。
 しょうゆラーメン(550円).jpg

2006.09.09 | lahmen(ラーメンとつけめん) | トラックバック(0) | コメント(0) |

 二十一世紀になっても、鳥取では二十世紀梨が健在である。
 今や赤梨(幸水や豊水ですね)が主流となったフルーツマーケットにおいても、鳥取では迷うことなく手間のかかる二十世紀梨を作り続けている。

 鳥取砂丘の近くに、梨狩り園が多く点在する地域がある。ここで、旬の梨狩りをしました。
 場所はこのあたり
 入場料800円を払えば、あとは梨園内で食べ放題。梨好きの方には楽園かもしれない。
 梨園ではもぎ方を指導される。枝ごと切ってしまうと新芽がとられてしまうことがあるからだ。
 何個か食べると飽きてくるが、甘酸っぱくておいしい。果汁が多いのが特徴で、手がベトベトになるくらいの水分がある。
 このあたりには、数多くの梨園があり、梨直売所があり、梨の木がある。
 鳥取で一番の特産品、二十世紀梨は9月末まで。今世紀もおいしいよ。
 梨の枝つき.JPG むき梨.JPG

2006.09.08 | gourmet(食べ歩き) | トラックバック(0) | コメント(0) |

 今日は鳥取砂丘に行きました。雲の様子が美しかったので、撮影してみました。
 もうすっかり秋ですね。
 
砂丘の落日.JPG

2006.09.03 | daily(日々雑記) | トラックバック(0) | コメント(0) |

 ちょっと前から、BUMP OF CHICKENにハマっている。
 聴くのはもっぱら「JUPITER」というアルバム。もう5年も前のアルバムだ。たまにこういう時期があって、この前はブランキージェットシティだったし、もうちょっと前は椎名林檎だったような気がする。

 その中で、ずっと気になっていた歌詞、というかフレーズがある。
 「消える魔球の様な優しさ」というやつだ。
 歌詞全文は省略。

 ロートレアモンの有名な詩句『ミシンと洋傘の手術台の上での不意の出会いのように美しい。』ではないが、消える魔球のどこが優しいのか、気になるではないか。
 あんまりにも暇なので、夕暮れ時の川辺で論理的に読解してみた。
 以下、お時間のある方のみどうぞ。



 キャッチボールはしばしば、会話の暗喩(メタファー)として現れる。それは交互に発せられるヤリトリであり、話す/聴く=投げる/受ける という相似性からそう考えられる。

 歌詞中に登場するのは二人だけである。彼らはキャッチボール/会話を続けている。
 「夕焼けが終わっても キャッチボールは続いてた」
 「キャッチボールは続いていく いつまでも続いていく」

 こういった歌詞中から、二人の関係性が読み取れる。会話を何度も繰り返し、いつまでも続いていくと思うような関係性である。一般的に言えば夫婦の関係かもしれないし、まだ恋人の関係かもしれない。もしかしたら、仕事上のパートナーでしかないかもしれない。彼らは、会話し続ける必要性があるのだ。

 歌詞中で登場する「カーブの様な愚痴」は、この会話の変質をよく表す。
 皆さんは時折会話の中で、話題から逸れて、相手のことを考えずに愚痴っぽくなることはないだろうか。これは、会話のキャッチボールに於けるカーブの様な愚痴ではないか。
 ではこれを「とれない」という状況は何を意味するのか。
 ボール/言葉を失うというのは、その時点でのキャッチボール/会話の終息を意味する。「君」は「とれなくてもいい」と思っていても、「必死で追う」心境。それがたとえ愚痴であっても、捕って/聴いてあげたい。これが語り手の心境である。

 余談だが、女性の会話というのは散漫なことが多い。それは「脳梁」と呼ばれる右脳と左脳を結ぶ連絡回路が発達しているからであろうが、それはすなわち視覚情報や聴覚の情報と同時に言語活動を行えるためである。実は女性のほうが言語処理能力は高いのだが、男は一つのことに集中してしまう傾向にあるので、女性の話が散漫のように聞こえるようだ。

 そして、「消える魔球」とは何か。
 初めて「消える魔球」が人口に膾炙したのはおそらく漫画「巨人の星」の主人公、星飛雄馬の投げる大リーグボール2号に由来する。(詳細はウィキペディア参照のこと。)
 ボール/言葉が消えているのだから、これは会話というよりも無言の会話なのだろう。非言語の領域で取る/聴くことのできる会話、すなわち目くばせや微笑みといった類のものだろう。
 この無言の優しさ。体験したことはないだろうか。

 こんな愚痴や優しさを見逃さずに捕る/聴くことのできる関係性こそ、二人の距離と言える。
 「上手くなって距離を置く 心は近付いていく
  君の声は遠くなり 君のコエが近くなる」

 安心して投げられる/話せる相手に、心理的な距離は近づいていく。音声としての声が遠くても、心のコエは近くなっていく。



 この「キャッチボール」を聴きながら、今日の日は暮れていった。

 夕暮れ.jpg

2006.09.02 | daily(日々雑記) | トラックバック(1) | コメント(2) |

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